「好き」の理由を言葉で表すことは出来るの?
「なんで私のこと好きなの?」とか、
「なんでゲームしたいの?」とか
様々な感情に対しての理由を言葉として確認したがる人がいる。
勿論理由なんて探せば見つかる。でもそれって理由と言い切れるほど感情を決定づけたモノでは無いことが多いと思う。
可愛いから、優しいから、趣味が合うから、、、
楽しいから、疲れないから、友達もしてるから、、、
言葉で表されるごく一部の理由はその場を凌ぐ、または自分を騙すためのモノでしかない気がする。
ゲームがしたい理由だって、勉強がしたくないから、指を動かすだけで成長ができるから、何もしたくないけどやるとしたら勉強よりは行動に移しやすいから。
などなど言葉に出来るものだけでも色々あるが、これにもまた裏には感情が潜んでいる。
勉強がしたくない→感情
成長ができると嬉しい→感情
結局また感情を言葉に表す事になってしまう
感情に対する理由を聞いて、納得してしまうのは愚かな気がする
感情に対する答えを言葉で感じようとするのは自分を騙して納得させて自分を肯定するためだけなのかもしれない。
そもそも感情を言葉で表現しようとする事自体が過ちなのかもしれない。
こういう感情を好きと表す事にした。
こういう感情を落ち着くと表す事にした。
そもそも感情表現語に明確な定義なんてない。定義はまた感覚で成り立っている。
例えば、好きを辞書で見ると、心が惹かれること、などが出てくる。
正直意味がわからない。
ここから言えることは
感情は経験の共有でしか伝えることが出来ないということである。
僕これ好き。私もこれ好き。
甘いから、食感がサクッとしてるから、、、
好きな理由は結局はそれぞれの頭でそれぞれの経験に基づいた感覚で共感する事になる。
ここまでがフと頭に思い浮かんだことなんだけど
昔の人って面白いなって感じた
和歌って感情の共感で成り立ってるよね
言葉を五感で想像して、そこに入り込む。まさに感情表現の交わし合いに適した方法な気がする。
豊かな感情を日本語の豊かな表現で